【タワーレコード日本上陸】

2020-01-24

 80年代の懐かしい思い出。1976年に創刊された雑誌『POPEYE』から得るアメリカの情報は新鮮だった。当時の日常生活において、興味をそそる物珍しい記事が満載であった。話題になった映画のロケ現場を探しにネバダの田舎に探しに行く。ルート66を実際に走ってみる。巨大なアメリカントレーラーの紹介。などなど。初めて知ることばかりであった。
 正に、アメリカ西海岸に旅行したい気分にさせてくれた情報発信誌であった。その『POPEYE』で知った『タワーレコード』についての雑文です。

タワーレコード日本上陸
 『タワーレコード』の巨大な店舗紹介に加え、そこで働く従業員の様子が凄かった。当時の日本では考えられないくらいラフで生き生きと働いている内容であった。 
『POPEYE』で紹介された2~3年後『タワーレコード』が日本に上陸した。1980年である。
それからというもの、レコード購入は『タワーレコード』に決めた。何といっても、値段が安かったのが嬉しかった。大量仕入・大量販売の恩恵である。
 更にダメ押しで、売れ行きの思わしくない在庫品レコード盤は故意にジャケットの一部を傷つけ、中古品として値段を下げ販売するのである。これも、購入する側としては魅力的であった。
 当時の日本におけるレコードは、あまりに豪華過ぎる感がある。ジャケット包装も頑丈で、各曲目についての丁寧な解説まで付いていた。LPレコード1枚は、高価な買物であった。

レコードジャケット開封カッター
 『タワーレコード』の輸入盤はと言うと、一口で言うと雑・ラフである。薄っぺらなジャケットを薄っぺらなビニールカバーで封印(フィルム包装)しただけである。封印と表現したのは、ビニールカバー(フィルム)を破らないとレコードを取り出せない完全密封なのである。

 持ち帰り、いざジャケットから盤を取り出す時、不便なことが発生する。
ジャケットを包んでいる薄っぺらなビニールカバーを破らなけれならないが、密封状態なので、ハサミやカッターを用いレコード取り出し口を開封しなければならない。これが意外と手間である。レコード製造元もやはり、顧客のその辺のことは充分理解していたと見え、レコード開封カッターなるものを製作している。商品?普及品?だったのかは記憶は無い。
レコード包装の厚みに対応できるように、2つの溝がある。

 CD・DVDの時代になると、アナログレコードとは縁遠くなり『タワーレコード』に足を運ぶことも自然と少なくなる。
 最近、アナログレコードが復活しているニュースを聞いた。団塊の世代が懐かしさのあまり聴き出しているのだろうか。レコード盤を知らない世代が物珍しさで聴き始めているのだろうか。
 
 レコード盤は今後、購入する事はないと、決めた時がある。無性に『タワーレコード』をデザインしたくなった。下記画像のパネルである。