【他人の汗には、どうしても触れたくないものである】

他人のかいた汗は当然のこと、それを拭いたタオルやハンカチでさえ触れたくないものである。苦労を重ねて得た成果で用いられる「汗の結晶」は美しいが、「汗」のイメージと言うと、スポーツとか気温が高くて身体に出る水分である。体温調整ではないが「冷や汗」というのもある。「汗」は特別、毒ではないが「邪魔モノ」だ。汗をかいてそのままにして置くと体感的にも精神的にも気分の良いものじや無いし、周囲からは「汗臭い」などと言われるし、良いことは一つもない。

大相撲と汗拭きタオル
2023年の大相撲大阪場所。横綱照ノ富士は、初っ端(しょっぱな)から休場。途中で大関貴景勝が休場で横綱、大関不在の場所となっている。それに加えて、NHK相撲解説者の北の富士までも今場所は不在となっている。体調不良なのだろうか。横綱・大関不在の方が、逆に面白い内容になりそうである。神社で行われる奉納相撲大会と一緒で、誰もが優勝チャンスがあるからだ。
さて、この大相撲取り組みで、ある行為(場面)を見る度に、余り良い気分になれない事がある。その場面とは、仕切り制限時間となり最後の精神統一を行う場面だ。各力士は気合いを入れたことで、かいた汗を拭おうと、顔をゴシゴシ。身体をゴシゴシ。問題は、そのタオルを受け取り、綺麗に折りたたむ土俵整備を行う「呼び出し」の仕草である。

力士が汗を拭いたタオルを絞ったとしても汗が滴り落ちることは無いと思う。しかし、汗でおしぼりみたいな濡れ具合をイメージしてしまう。そのタオルを受け取りきちんと折りたたむ様子を見るたび、「呼び出し」本人は仕事とは言え、他人の汗拭きタオルに触れることを何とも思っていないのだろうか、と余計なお世話で気になってしまうのである。

日常生活において他人が汗をふいたタオルとか、ハンカチには特別な事情が無い限りは触れたくないものである。握りしめたり匂いを嗅ぎたくなるほどのタオルとかハンカチは、特別な相手だけで充分である。

相撲の世界で汗拭きでタオルを使用するようになったのはいつからなのだろうか。昔は使用していなかったような気がするのだが。

温泉のタオル
温泉で使用するタオルはと言うと、ビニール袋に包装されており、封切り使用・清潔そのものである。但し、顔を洗う時も、風呂に入る時も、汗を拭くときも何をするにも、その1枚のタオルを使用することになる。温泉重要アイテムのタオルである。

チェックインからチェックアウトまで個人専用のタオルとなるため、4人部屋宿泊の時などは、部屋のタオル掛けの位置も覚えておく必要がある。いくら気の置けない仲間のタオルとは言え使用するのには躊躇する。

その温泉で先月事件が発生した。福岡県筑紫野市の老舗旅館「二日市温泉 大丸別荘」が、大浴場の湯を年2回しか入れ替えを行っていなかった事件である。社長は先月2月に記者会見で謝罪し、湯の入れ替えはしなくてもよい事を自ら指示したことを説明している。その後、社長は自殺したニュースで、さらに大騒ぎとなった。

何とも、無神経な社長である。常に新しい湯が湯船に補充されていたとしても、恐らく湯船は湯垢でヌルヌル(苔)状態のはずである。宿泊客の誰かが、異様な状況を感じてもよさそうである。

「このヌルヌルは、肩こりに効くお湯の成分が原因なんです」などと言われれば、納得するしかない。何ともスッキリしない、気持ちの悪い出来事であった。

大浴場の湯から基準値の最大3700倍の菌が検出されたとなると、いくら、自分専用のタオルを使用したところで、何の意味もない。「ぞうきん」を使用しているのと一緒である。今回の老舗旅館大浴場の事件は、今後の大相撲「呼び出し」の汗拭きタオルを折りたたむ仕草の感覚を変えてくれた。大相撲の汗拭きタオルに触れることぐらいは綺麗なものである。

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