【コロナ禍!違和感を覚える記者会見のフェイス・シールド手話風景】

聴力障害者のコミュニケーションの一つ「手話」が世界共通語だったらどんなに素晴らしいか。どうして共通語にならないのだろうか。「インディアン嘘つかない」「Indian no tell lies」これを日本人とアメリカ人が手話で表現し、お互いに伝わらないのだろうか?伝わりそうに思うのだが、手話の世界にも「国際手話通訳」が存在するところを見ると、日本語と英語の通訳と同じ様に壁があるのだろう。

東日本大震災のころからニュース報道時、手話でも伝える画面が映し出されるようになった。こちらの方は、国内対象者への手話である。コロナ禍の最近は、首相の記者会見で、すっかりお馴染みになった手話通訳(伝達)者が菅総理の脇に映し出されている。
感染拡大1年前は感染予防からマスクをかけての手話であったが、読み取る側から感情表情(口・舌・あごの引き出しなど)が読み取れないとの事で、フェイス・シールドに変更された。日本の手話では非手指動作と言われる表情や頭部の動き、口型が文法的な意味を持つとされているらしい。俳優の竹中直人みたいに、顔で笑い心で怒る芸をされたら、文法的に成り立たず手話では伝えられないということになってしまうのだろうか。

その記者会見の場におけるフェイス・シールドの手話であるが、フェイス・シールドは感染予防に意味があるのだろうか。全く意味がないとは言えないが、会場を見る限り記者席からは距離があり飛沫を受ける影響はなさそうである。手話通訳者が飛沫を飛ばしているわけでもないし、飛ばしているのは菅総理だけで飛ばしている方向は記者席である。手話を行っている伝達者にはそれ程の影響はなさそうに思える。

元々、フェイス・シールドは防護具の一種で顔全体に感染性物質や粉じんなどが飛んでくることを防ぐものである。会場自体が「密」と言えば「密」と言えるが、会見の会場でフェイス・シールドを付けたところで感染防止はどのようなものなのだろう。安全(予防)を考えるなら、いっそのことフェイス・シールドを付けない手話を別室で行い、その画像を会見画面に組み込んだ方が良いように思える。

所詮、菅総理の会見は事前に原稿が出来ておりそれを読んでいるだけだから、菅総理の脇に立ち同時手話をしなくても手話担当者も事前に同じ原稿を受け取り別室から発信できそうなものである。ましてや手話通訳者は、聞いたことをそのまま表現するのではなく、自分の中で意味を嚙み砕き、分かりやすく伝えることを必要とされるらしい。その意味でも手話通訳者は、原稿を事前に入手し内容を理解した方が、外国映画の吹替えみたいに分かりやすく伝えられそうである。菅総理が原稿を読み間違えても心配ご無用。正確に手話通訳内容は伝わります。