【餃子・ラーメン定食】

『ラー油の代償』改訂版である。

突然、「餃子」が脳裏をかすめた。暫く餃子を食べていなかったせいであろう。不思議なもので、食べたいと思うと無性に食べたくなるのが正常な人間である。そのうちに、餃子にラーメンとライスが加わり『餃子ラーメン定食』のセットがイメージとして出来上がってしまった。

特に、御用達のラーメン店があるわけでもなし、自宅で熱燗を呑みながらの自作『餃子ラーメン定食』を食べることにした。それにしても、冷凍餃子の進歩には驚くべきものがある。油もいらない・水もいらない。加えて、フライパンに蓋も必要ないときている。

さて、「餃子」に付き物の「ラー油」についてである。

中華料理で使用することが多いラー油。ごま油に唐辛子を加えて加熱し辛みをつけただけの調味料であるが奥が深い。特に四川料理(麻婆豆腐や担々麵など)の調味料、薬味として用いられる。

食堂では、テーブルに醬油とか酢などとセットになって用意されている。ラー油の場合、醬油、酢とは異なり容器から小さなスプーンを使ってすくい上げ一滴、二滴を調味料、薬味として用いる。そのスプーンと言うのが、今では見ることが無くなったが病院や薬局で薬剤を秤(はかり)で調合する時に使用するような小さなスプーンである。個人の好みの差はあるにせよ、醬油みたいに「ドバドバ」とは加えない。小さなスプーンを使用するのも、料理の味を左右する微妙な一滴(ひとしずく)の意味を持っていて、そのためなのかも知れない。

このラー油を使用するたびに思うことがある。『ベトつき』である。高級中華料理店で食事する機会が無いので分からないが、大衆食堂と呼ばれる店の場合は、容器は昔から相変わらず『ベトつき』百点満点である。最近では普通になった注ぎ口がプッシュ方式の容器でさえべトついている。

まるで、ベトついていないと「ラー油」ではないと言わんばかりである。この『べトつき』は、ラー油を使用するヒトの宿命として受け入れなければならないものなのだろうか。などと、いつも思いながら使用する前に、やおらテッシュを準備する筆者である。全ては、貴重な一滴か二滴の代償なのかも知れない。

【代償】あることを成し遂げるために、払わなければならない犠牲や損害

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