【殺人で死体から血液を抜き取ることは手間の割にはそれほど意味がない】

 新潮45編集部の殺人事件をまとめた記事が好きで、文庫本で出版された何冊かを持っている。筆者は殺人を侵す動機、愛憎や痴情の縺れ(もつれ)などの状況・原因よりもどちらかというと、死体始末手法に興味がある。
 冒頭の新潮社文庫を読み返していたら、ある事件が気になった。それは「井の頭公園バラバラ殺人事件」である。


井の頭公園バラバラ殺人事件
 この事件は、1994年4月に発覚している。なにが気になったかというと、解決したのか?否か?である。あれ程までに騒がせた事件だったのに、「人の噂も七十五日」と同じである。
25年前のこの出来事は、2009年4月に時効となっていた。
 
以前、当ブログで「完全犯罪を成し遂げるための殺人死体処理方法」を発信した。
日常生活において、常に見かけるゴミ収集車を利用しての死体処理方法についての内容である。
井の頭公園バラバラ殺人事件も、公園ゴミ収集車が幾らか絡んでいるが、ゴミ収集車による処理以上に、プラスαの死体処理が施されていたのである。当時、そのことが発表されたのかどうかは記憶に無い。文庫本を読み返して改めて認識したので簡単に整理してみることにする。

プラスαの処理
 公園清掃員が、池の周辺のゴミ箱から切断された人体のパーツを発見し事件発覚。頭部と胴体を除く27個の肉塊がみつかっている。その27個は全て長さが20cmに切断され、血液が全て抜き取られパーツは全て綺麗に洗われていた。更に、驚くべきことは、手の指紋が削られていたというのである。
 血液を抜くことで、遺体の腐敗を長引かせることと異臭は防げるが、血液型とDNAの鑑定は可能とのこと。更には、手の指紋でなくても、掌紋(しょうもん)からも識別出来るらしい。
 結局,頭部と胴体は無くても遺体の身元は判明した。が、被害者との関係者捜査から犯人は特定されず時効となっている。

 通常、遺体をバラバラにする一番の理由は、身元から関係を探られないようにするためである。過去の事件を見ると、苦労して折角バラバラに切断しても、早急に処理しないばっかりに異臭で発見されたり、被害者の特徴がパーツから判明したりで、手間と時間を掛ける割には成功していない。

 
 井の頭公園バラバラ殺人事件でさえ、血液を抜き、指紋を削り落としても、身元が判明されている。この事件、たまたま犯人像が見えず時効となったが、死体は料理と一緒で、新鮮なうちに調理した方が上手く処理できそうである。
 井の頭公園のゴミ箱から、頭部と胴体が見つからなかったのは、頭部と胴体だけは殺害後収集日に合わせて即ゴミ箱へ出し(殺害日と翌日の収集日から推測)他の27個のパーツは死体処理後に次の収集日に合わせようとしたがゴミ箱に出すタイミングと収集が合わなかった。とも推測されている。
 
ブログ「これでいいのだ」