【神様の最強のお守りは『身代わり守』】

何十年も生きていて今まで全く知らなかった。それは『身代わり守』である。

初詣や旅先の神社を訪れた時、神のご利益に縋って「御守」を購入することが多い。お土産にもなるし、家族・自分の身に降りかかる災いから守って欲しい気持ちから、状況に応じて選択することになる。「安産祈願」「健康祈願」「合格祈願」などなど。兎に角、何でも安心感を得るために購入するものである。ただ、どういうわけか高級スポーツカーのコックピットに「交通安全御守」は、似合わないことだけは確かである。

さて、『身代わり守であるが』それは、日中の街中での拾得物である。ご利益がそれ程感じられないビニールケースに入った小さいものであった。どこにも神社名などは記されていない。そのまま、無視して通り過ぎるのも罰が当たりそうだし、通行人に踏みつけられでもしたら・・・・・と思い、拾い上げ持ち帰った。

普通、御守と言うと袋には神社名が入っており、中身はと言うと、「神霊」と書かれた紙切れや、「御守」とだけ書かれたものが入っている。浦島太郎の玉手箱と一緒で中身は見ない方良さそうだ。それ程の神の力は伝わってこない。身代わり守』の中身を調べて見ると「平安の道大神」と書かれた木札が一枚入っていた。神社名はどこにも記されていないが、立派な袋の御守よりは、ビニールケースに入った木札の方が、不思議な神霊を感じてしまった。

『身代わり』とは、他人の身になり代わることで、犠牲を払ってまで守ってくれる慈善の神様かも知れない。命を守ることもあれば、失敗の肩代わりをしてくれるのかも知れない。兎に角、何事においても「ご主人様の身代わり」「分身」なのである。

人間誰でも、水難事故や思わぬ恐怖に遭遇した時など、無意識に叫ぶ言葉は「助けて!」に違いない。それは誰に発しているのか?親兄弟、友人かも知れないが、漠然と「神」に向かってのような気がしている。その神こそ『身代わり』の神様であろうと思わずにはいられない。信心深く神社にお参りに行くのも良いが、常に「分身」として身近にいてくれる『身代わりの神』を信仰しようと思った。

10月は、全国の神々が島根県の出雲に集合し会議が行われることから、神様不在の月「神無月」と呼ばれている。『身代わり神様』に、せめて10月くらいは負担をお掛けしないようにしよう。

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