【教師の不倫・猥褻事件は聞いても教師の殉職した話は聞かない】

 最近は、教師と言う職業が相当厳しそうだ。ブラック企業と同じ様な残業時間で苦しみ話題になっている。時代が違うと言ってしまえばそれまでであるが、大正11年(1922年)に田舎の小学校に着任した新米教師が教え子の命を救う為に、命を落としてしまった「小野さつき」の話を聞くと、現在の教師は生徒に対する思いやりが薄っぺらなものとしか感じられない。教師を志してついには夢を果たした人間が、教育者とは思えな事件や事故のニュースが多すぎる。

殉職記念碑
 毎年正月、実家の近くにある小さな神社に初詣に行く。その帰りに決まって立ち寄る場所がある。それは『小野さつき殉職の記念碑』である。どの様な記念碑かと言うと、大正11年小学校教諭として着任したばかりの小野さつき(女性教師)は4年生の担任となり7月のある日、河原へ写生に出かけるが、その写生中に児童3人が急流に落ち流されてしまう。さつきは、袴のまま飛込み2人は助けることができたものの、残る1人は助けることができず自分も激流にのみこまれ命を落としてしまうと言うものである。22歳の若さで逝ってしまったさつき記念碑が、河原を見下ろせる場所に建っている。
 
 この小野さつきの行動は、当日の文部省から表彰されている。また新任4ヶ月での仕事っぷりは誇張されているにせよ、生徒・父兄からも人格的に愛されていたようだ。死んでも児童を助ける強い信念の持ち主だったことだけは間違いなさそうだ。

 現在であれば、小野さつきのような行動を行ったとしても、表彰され周囲から寄附金が寄せられ殉職の碑が建てられるとは思えない。恐らく、人命救助の行動に対して感謝されるどころか、犠牲となった家族からは「学校」と「県」に対し賠償請求がなされるような気がしてならない。

教師と生徒の関係
 最近の小学校では家庭訪問がないらしい。詳しい説明を直接聞いたわけではないが、一つには保護者の共働きがあるみたいだ。今は、保護者が学校へ出向き面談を受けるらしい。
 あくまで筆者の感覚であるが、重要なのは保護者と面談することではなく、教師が生徒の家庭環境を見ることのような気がする。『家庭訪問』の言葉は読んで字のごとく的を得ているものだと思う。

 教師の『家庭訪問』とは反対に生徒が教師宅に訪問することを何というのだろうか。忘れられない思い出がある。小学校の3年生の時、日曜日に友人と二人で教師宅訪問を決行した。特別な理由があってのことではない。探検である。担任の教師は母親くらいの年齢であった。今になってみると、どうして教師の住まいを知ることができたかは思い出せない。

 突然の教え子の訪問で、相手も驚いたに違いない。結局,テストの答案用紙の採点手伝いをさせられてしまうことになった。自分のテスト結果よりも、クラスメイト全員の点数を知ることになるのだから、それは衝撃的なことであった。例えるならスキャンダルをスクープしたようなものである。恐らく、この出来事に対て、教師からは当然きつい箝口令(かんこうれい)が敷かれたはずである。
 今であれば正に、皆が泣いて喜ぶ「個人情報」の話題に発展する出来事であった。

「小野さつき訓導殉職の碑」を見る度、教師と生徒の関係を考えさせられてしまう正月である。