【「ルビンの壺」だまし絵から学ぶこと】
美術の教科書に決まって載っている「ルビンの壺」と言う『だまし絵』がある。人間の錯覚現象を説明するのに良く使われるものであるが、美術のジャンルに限らず、何事も色々な角度からモノをみつめる姿勢が日常生活では重要であることこを教えてくれている。
これが有名な「ルビンの壺」である。「壺」だと思って見ると「壺」にしか見えない。「人物」だと思って見ると「人物」にしか見えない。同時に両方は認識することはできない。
この手法をデザインで使用できないものかと考え、色々試しに制作してみた。筆者の場合は、まるっきり別なモノに見える「だまし絵」ではなく、見えそうで見えない「だまし絵」になってしまった。
別なイメージが見えたとしても、結局はお酒の付き合いをしてくれる女性のイラスト画以外、何物でもない。
人間は自分が興味を示す対象以外を、その他と認識してしまうと他の物を自覚しなくなる。余りに、思い込みが強いと他の物は一生見えないこともあり得るわけである。
「だまし絵」を制作する側を考えると、マジックと同じで「だましの種」を使っているわけで、それ程感心はしない。
問題は見る側である。二つの世界を見ることができる人間がいると思えば、片方の世界しか見えない人間がいるかもしれない。
二つの世界は日常生活において、見る側(受け取る)が物事を判断する時、意識しておいた方が良い。確かに、・・・・・に思えるけれど、他に・・・・・も考えてみる必要があるのでは?と言う具合に。
情報を発信する側の立場から重要なことも「だまし絵」は教えてくれている。
認知心理学(ゲシュタルト心理学)は、何かを見せるためには、何かを見せないことに努力しなければならない。と。
デザインでも、文章でも伝えたいこと・何かを見せるためにはテーマを絞ることが大事であるらしい。
作家の井上ひさしの教科書に、あれもこれも見せようと書くのではなく、はっきり見せるためには情報を、削いで・削いでピンホールを書けとある。
そう言われても人間の認識ほどいい加減なものはない。
騙されることがあっても、物を見る角度は広く持つ必要がありそうである。
最後に、これも美術の教科書に載っている『錯覚現象』を。
縦縞と横縞のどちらのシャツを着ると、瘦せて見えるか?と言うものである。現物を見なくても、縦縞の方が瘦せて見えそうな感覚が何となく脳裏に焼き付いている。実際に見ると、・・・・・・・。
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