【首振り三年コロ八年】

 そう簡単に「尺八演奏」はモノに出来ない喩えで『首振り三年コロ八年』がある。尺八を吹くのに首を振って音の加減(ビブラートをかけること)ができるようになるのに三年、更に細かい指の動きによって、ころころと言う良い音が出せるようになるには八年かかると言う。年数・努力だけの問題だけとも思えない。当然ながら、持って生まれた才能(能力)が大きくモノを言うのであろう。

 世界の「駅」「空港」に置かれたピアノを自由に弾く様子を定点カメラで撮影したNHK・BSの番組を見るたび、意外と独学、自己流で習得したヒトが結構いるのに驚く。ことわざに『好きこそ物の上手なれ』と言うのがあるが、筆者の場合、楽器に関しては当てはまらない。いくら好きでも習得出来ない。楽器演奏そのものの魅力以上に、演奏者の姿「形」に憧れてしまうことの方が大きいのかも知れない。演奏者の姿を見て、更には、独学とか自己流とかの魅力的な言葉を聞くと、飛びついてしまう。慎重さを持ち合わせていない、衝動的性格なのであろう。

 フォークギターから始まって、エレキギター、エレクトーンそしてトランペット。いくら好きでも、未だモノに出来たものはない。恐らく死ぬまでできないと思う。しかし、諦め切れないでいる。根底にあるのは、残り少ない人生で何か一つでも楽器を自分のものにしようと思う気持ちである。但し、平日の夜音楽教室に通ってまで練習して習得する気はない。残り少ない人生、晩酌する時間の方が大事である。

 最近、不思議に思っていることがある。管楽器を最初に作り出した(考えた)ヒトって、どのような感覚の持ち主なのだろうかと。管楽器と言へば、即頭に浮かんでくるのは、トランペット・トロンボーンである。トロンボーンは実際吹いたことがないので分からないが、トランペットと同じで容易に音は出せない感じがする。

 そう容易に音を出すことが出来ない楽器を作り出したのが不思議である。最初から音を出すには練習が必要であるなどとは考えてトランペットを作り出したとは考えられない。ましてや、3個のバルブの組み合わせで#や♭まで音をコントロールできてしまう理論。“絶対に音は出る”と確信して考案し練習をするだろうか。全く理解できない楽器誕生である。不思議大発見に感心してもしょうがない。『神からの贈り物』として素直に受け入れることのしよう。

 そのトランペット、練習に練習を重ね音が出た時は嬉しかった。が、筆者にとって音が出たことで目標は達せられたのかも知れない。練習の熱は冷めてしまった。熱しやすく冷めやすい性格。今ではケースに収められっぱなしで、日の目を見ることは無くなってしまった。