【自分の子供の答案用紙を資源物収集日に出す親心】

マンション管理員をしていて、ダンボール・雑誌・新聞類の資源物収集日にいつも思うことがある。

このマンションに限られたことかもしれないが、子供たちのテスト答案用紙が紙袋にまとめ持ち込まれる時がある。90点・80点の答案用紙で「皆様、こんなにも出来の良い、うちの子供のテスト答案用紙を見てください」と言うのならまだしも、30点・40点の答案用紙だと、母親は何を考えているのだろうかと思ってしまう。普通に考えて、この様なモノを人前にさらすこと事態が信じられない。例え、名前を黒く塗りつぶしたとしても考えられない。単に、紙類の収集日だから部屋の整理・片づけで出してしまおうくらいの思いなのだろうか。

人前に、晒(さら)して良い物と悪い物の区別は、個人の感覚に左右されず一応の線引きはあるような気がする。恥ずかしい物とそうでない物として考えた方が分かり易いかもしれない。テストの答案用紙や卑猥な雑誌などは、恥ずかしい部類に入る。恥ずかしいモノを出す時は、新聞紙や参考書の間に入れて人目に触れないように出すのが捨てる美学である。30点・40点のテスト用紙を人前にさらすことに恥ずかしさはないのだろうか。さすがに高校生の答案用紙用紙は収集場で見たことがない。高校生くらいになると、答案用紙は親に見せることなどはない。自分で何らかの方法で抹殺してしまっているのであろう。子供たちが気の毒である。本人が知らないうちに、母親に晒し(さらし)者にされてしまっているのである。

シュレッダーがなかった昔は、テスト用紙のような個人情報は風呂を沸かす時、或いは、煮炊きする時のかまどで、焚き付けとして処分し完全消滅を図ったものである。最近は個人情報が「なんじゃらほんじゃら」とうるさい世の中である。マンション管理員としてプライバシー保護で、かなり気は使っているのだが、その割には意外と当の本人たちは気にしていないようである。