【宅急便の配達員の昔と今!昔のあの迫力はすごかった】

2020-01-31

 最近、昔と比べ迫力がなくなったと感じられるものに、宅配業者の「仕事っぷり」がある。
筆者は現在、マンションの管理員の仕事をしていて、毎日ひっきりなしに宅配業者の出入りを見ているが、どこの業者も「スピード感」がないし「汗」が感じられない。緊張感が無いのである。
宅配便の仕事に、スピード感や緊張感を求めているわけではないが、昔と比べ迫力がなくなったように感じる。

 宅配便サービスの歴史を調べてみると、大和運輸が1976年1月20日の始まりである。
筆者の当時の記憶としては、宅配便の存在は知っていても、大きな荷物を送る時の運送業者は日本通運で、小包は郵便局を利用していた。急いで相手に届けようとする生活はほとんどなく、相手に届くまでの日数は、業者の言われるまま(業者の決められた日数)で納得していた。宅配便が身近に感じるようになるのは、数年先のことである。

 徐々に普及し話題になり『宅配便』の存在を知るのは、週刊誌の記事である。宅配業者の話題にではなく、そこで働く高給取りの若者たちのことで、短期間だけがむしゃらに働いて、外車を購入するくらい稼いで、その代償として身体を壊し辞めてゆく現状であった。世間で大分、話題になったと思う。
 その時の宅配業者というと、大和運輸ではなく飛脚の『佐川急便』のほうであった。今でこそ強気の『クロネコヤマト』とか『ペリカン便』であるが、当時はそれほど印象にはなく、知ることになるのは、ずっ~と後のことである。

 あの当時の『佐川急便』の若者たちは、配送時には必ず走っていた。その姿を見ていて、少しでも早く荷物を届けるのが仕事であって、見ていて引越し作業よりハードに思えた。朝早くから夜遅くまで走り回っていて、とてもじゃないが筆者にはできない仕事だと思っていた。
 それが現在では、走り回っている姿を見かけることは、ほとんど無い。走り回っている時は、路上駐車を気にしてのことである。今では、時間指定も小刻みに指定できるので、昔以上に配送にはシビアになっているのではないかと思えるのだが、そんな雰囲気は全くない。
 小刻みな時間指定を行える割には、強気な態度が感じるのも現在の宅配業者である。

 筆者なりの色眼鏡で見ると、交通網の発達と輸送システムのプログラムが、宅配業界に変化をもたらしたのが原因ではないのかと。もはや、体力がものを言う職種ではなくなったのであろう。いくら走り回っても、高給外車は購入できない時代になった。
 ある宅配便業者に次のようなコピーがある。「早くてもだめ 遅くてもだめ」