【枕の代わりにもならない岩波書店の広辞苑。宝物としての角川書店の必携国語辞典】

 デパートの古書・古本市フェア開催で、昔から興味はあったが内容を見たことがなかった『広辞苑』を購入した。第4版の大分古い版で安かったことも背中を押した。持ち帰りには大きくて重い買い物だった。しかし、それはインテリアにもならず、枕の代わりにもならない無用の長物であった。資源ごみとして出す以外方法はなさそうである。尚、お断りしておくが古本市フェア開催への外出は、新型コロナウィルス騒動で不要不急の外出自粛が発令される以前の出来事であったので念のため。

 筆者が最初に使用した辞書は、三省堂の国語辞典であった。中学入学の時が最初で、今でも手にした時の感激を思い出す。その後暫く買え替えた記憶はない。少しだけ詳しい意味を知りたくなり高校生の頃『広辞苑』を意識した。購入しようと考え迷ったが、高価だったため妥協して『広辞林』を購入した。

 いま、『広辞苑』を見て、あの時『広辞林』を選択して良かったと、つくづく実感した。『広辞苑』と比較して決して劣るものではなかったことが分かったし、50年以上になるが今でも使用していて安心感がある優れものである。結局『広辞苑』は造られた信仰的な偶像なのかも知れない。

宝物『必携 国語辞典』角川書店
『広辞林』と併用して使っている辞典がもう一冊ある。角川書店から出ている『必携 国語辞典』大野 晋・田中 章夫編である。必携というくらいで、持ち運びの出来るサイズだ。大分以前になるが、作家の井上ひさしのエッセイの中で、推薦していた辞書だったので購入したものである。

 この『必携国語辞典』をもう少し早く知り手元に置いておくべきであった。井上ひさしの絶賛の通りである。意味を調べられるだけではなく、紛らわしい言葉の使い分けまで親切丁寧に記してある。今では筆者の宝物になっている。

不要『広辞苑』岩波書店
 『広辞苑』に関しては、昔から絶賛と悪評の両極端で論じられてた出版物が多くある。1955年の第1版から改訂が重ねられ、現在では第7版になっている息の長い辞典だ。本の厚さが10cm近くあるだけに、かなりの言葉、項目が収録されている。購入して分かった。筆者にとっては、必要のない辞典である。一つの調べたい語句のために、こんな重くて分厚い辞典を引っ張り出す意味がどこにあるのだろうか。更には調べたその意味が、味気ないのに落胆してしまう。余りにも冷たい文言・語句の記述で突き放されてしまう。この辞典を枕代わり使用したら、脳ミソが腐ってしまいそうである。

超芸術トマソン(無用の長物)
 『広辞苑』は正に、トマソン超芸術と呼ぶに相応しい無用の長物に思える。超芸術トマソンとは、1972年代に、赤瀬川原平・南伸坊・松田哲夫らが名付けた概念で語源は、プロ野球選手で読売ジャイアンツに所属していた4番打者ゲーリー・トマソンに由来する。

 4番打者でありながら、肝心な場面で全く活躍することなくチームに貢献しないまま消えてしまった姿を喩え、超芸術トマソンと呼んだのである。一般的には、街中の建物の一部を指している。例えば、建物外部に付いている非常階段があるとしよう。しかし、その階段はそこに存在していても、人が使用するには不自然で意味が全くなく、何のために取り付けられたか理解できない不思議なものを超芸術と呼ぶのである。

 超芸術トマソンに『広辞苑』を推薦する事にする。