【新型コロナ感染予防は固形石鹼で「I wash my hands」】

「I wash my hands」中学生の時に覚えたこの英語が好きだ。手を洗う時、無意識に独り言で発することがある。

最近、洗剤と言うと液体・泡状が大半を占め、固形石鹸は併用で使用されていてもあまり使われていないのが一般的に思える。固形石鹼は化粧品としてのジャンルに活路を見出して、高価な石鹸として売り出されていたり、遊び心で素材が普通では考えられないようなものから、お土産などとして販売されている。

新型コロナ感染から自分の身を守る行動の一つとしての『手洗い』を喚起するTV放映が最近見かけなくなった。かなり丁寧に洗い方を説明してくれていた内容だったのに。

固形石鹼の方が、丁寧に洗える気がする。洗い流す時に時間を掛けないと、きちんと洗剤を流し落とすことができないからだ。その行為が結局は、丁寧な手洗いになっているような気がしている。液体・泡状のハンドソープは、楽で手っ取り早く使用できるが、洗い流しも早い。その分洗いの丁寧さに欠けるのではないだろうか。だからと言うわけではないが、筆者は、固形石鹼の愛好者である。

「固形石鹼」は万能タイプである。使用しようと思えば、頭のてっぺんから足のつま先まで使える。洗濯用「固形石鹼」は、ちょっとした汚れの為に全自動洗濯機を使用するまででもない時などに重宝だ。ネット通販では今でも『洗濯板』を購入出来ることには驚いた。だからと言って、「固形石鹼」「洗濯板」が過去の物と言うわけではない。筆者は『洗濯板』での洗濯は、やった試しはないが、「粉末洗剤」と「二層式洗濯機」の愛好者である。


別宅での一人暮らしでは、二層式洗濯機を使用している。全自動洗濯機は一見便利に見えても、応用が利かない。時間も、洗濯物が多くても少なくてもそれ程時間の差はない。優しく短時間でセーターの脱水を行いたくてもジーンズの時と同じ強力な遠心力で長時間の脱水である。何よりも、使用する側の設定意志が働かないところが不満満々である。

二層式洗濯機の一番の嬉しいことは、泡の立った渦巻き状態の洗濯槽を覗けることである。シーツ類の洗濯では決まって洗濯水が汚く濁る。その濁りが逆に気持ち良く思える。洗濯過程を覗けない全自動洗濯機では、絶対味わえない感覚だ。最近の全自動洗濯機は大体が液体洗剤で、使用量も少量で済む。泡もそれ程立っている様子もない。やはり、泡立ちの良い粉末洗剤の泡立ちを見ると洗濯している実感が湧いてくる。

固形石鹸の話に戻そう。
小さくなった固形石鹼は、無くなりそう(消滅しそう)で、なかなか使い切れない。新品をおろし、小さくなった石鹼と合体(一塊)してしまおうと思うが、中々巧く合体しない場合がある。最後の最後まで一塊にならない場合がある。相性でもあるのだろうか。クリーミーな感覚で、新品と使い古しの石鹼が融合した時は、何故か嬉しくなる。

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