【増田屋~!酒の商権はワシが手を回しておいたから心配せんでよい】
「増田屋、まさか手ぶらで来たのではあるまいの」「お代官様、ほんの気持ちばかりではございますが、虎屋の羊羹をお持ちいたしました」このフレーズが大好きだ。
お菓子の下に隠された小判が「主語」であるから、隠すものは何でもよいわけであるが、大抵、手土産は羊羹とか饅頭の甘いものが多い。
筆者の宝物に『3升徳利』がある。何年か前、富岡八幡宮の骨董市で購入したものである。骨董品と言うより時代劇に出てくる居酒屋の小道具のようなもので、価値などはない。こちらとしても単に、インテリアにしようと思い雰囲気を購入したもので、徳利の価値などは求めてはいない。値段もそれ程高かったわけではなかった。
本日は『日本酒』について記してみようと思う。最近の日本酒の人気・出荷量はどうなのだろうか。時々、TVで若い層の女性の間で静かなブームを巻き起こしているとか、新規開拓で海外のレストランにまで売り込みを行っているなどと、景気の良い話を聞いてはいるが・・・・。
日本酒も昔と比べると、大分「爽やかさ」を感じるようになってきてはいる。それは、容器の一升瓶から720ml瓶容器に変わり、大吟醸とか質の高い日本酒が出回りおしゃれ感覚になったことが原因だと思う。
さて、増田屋『三升徳利』3升の量を頭に描いた場合、即『1升瓶』で3本を思い浮かべる。それが普通の感覚である。ところが最近『一升』の感覚が崩れてきている。瓶から紙パックに代わってきたことで、量の基準・イメージが無くなってきている気がする。
一升瓶と紙パック(2L)を比較した画像である。
2000mlの表示を見ない限り、紙パックを見ただけで、どれだけの量かは分からない。瓶の方は表示を見なくても一升(1800ml)だと分かる。それを基準として1升=1800ml=10合。1合は180㏄であるから、何につけても全て、これで量的な判断はできるのだ。
720mlの容器と比較して見ると、やはり一升瓶は迫力がある。ウィスキーでもビールでも酔っ払う行為自体は同じだが、日本酒の一升瓶は、他の追従を許さない。しかし、最近、一升瓶と親しくなれるのは居酒屋で飲む「枡酒」「モッキリ(盛切り)」になってしまった。飲みたい銘柄を注文すると店員が、一升瓶を席まで持参して、お客に注文の銘柄を確認させ「枡」或いは「グラス」に目の前で注ぐというわけである。
さすがに、ごみ収集日に日本酒一升瓶の出ている場面に遭遇する事は無い。やはり、購入して持ち帰りが不便だしゴミ出しも手間。更には、ゴミ出しで日本酒「一升瓶」を抱えているイメージが、『大酒のみ』に見えてしまう。一升瓶の持つ迫力以外何物でもない。
1.8Lの昆布つゆはペットボトルで一向に構わないが、アルコール類に関しては「瓶」に限る。たまには、自宅で小瓶の瓶ビールもいいものである。筆者も、あのアサヒスタイニーを思い出して気分転換に時々、バドワイザー瓶ビールを飲む時がある。キッカケは、ブログ「あのアサヒスタイニーを思い出し懐かしくなりました」の一読を。
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