【母親へ感謝の黄色いカレーライス】

カレーライス派かライスカレー派か?などと宗教めいた話ではない。とりあえず今回の呼名は「カレーライス」で進めることにしようと思う。

カレーライスは自分で作るようになって分かったことだが、非常にシンプルな食材で特別手の込んだ料理ではなかった。だからこそキャンプにおける定番料理だし、更に一度に大量に作ることができることから子供会などの時は決まって作られるメニューになるのだろう。店頭に並ぶカレールーの種類も多く、辛さの度合も好みで選ぶことができ出来る。今のカレー作りに失敗はない。

母親の黄色いカレー
その簡単料理が子供のころ待ちに待った特別な夕食のメニューだった。赤飯の次に食べた特別料理でもあった。美味しかったカレーに合わせて当時の生活の記憶が今でも思い出される。不思議な存在「カレーライス」である。

 

今なら失敗のないカレー作りも昔は、手間暇がかかった。カレールーのなかった時代、うどん粉とカレー粉で作らなければならなかった。あの時代の黄色いカレーライスが、社会人になったある時食べたくなり母親に頼み再現して貰ったことがある。

現在でも黄色いカレーは、市販のルー次第で作ることはできるが、懐かしい美味しかった味は、うどん粉とカレー粉を使い一から作ったことに美味しさの秘密があったのではとのイメージが強く残っている。

出来上がった懐かしい母親の黄色いカレーライスを一口食べてみる。と、感激がない。昔の懐かしさが湧いてこない。ストレートに「美味しくない」のである。思うに、市販の固形状ルーで作ったカレーライスの味に知らず知らずのうちに洗脳されてしまっているのだろうか。感激しなかったのも何となく頷ける。それ以来、母親に黄色いカレーライスを求めることは止めにした。

向田邦子から教えられた
「うどん粉のカレー」による哀愁騒動は『カレールーの開発』によるものであると勝手に結論付け数十年引き出しに仕舞っておいた。

ところが、何気なく読んだ向田邦子のエッセイに「うどん粉のカレー」の話が書かれており、懐かしい「うどん粉のカレー」の味は、カレールーによる味の問題などではないことを、面と向かって指摘されたような気がした。それが、次の一部分である。

「思い出はあまりムキになって確かめないほうがいい。何十年もかかって、懐かしさと期待で大きくふくらませた風船を、自分の手でパチンと割ってしまうのは勿体ないのではないか。だから私は、子供の頃食べたうどん粉カレーを作ってよ、などと決していわないことにしている」『父の詫び状』:向田邦子(株)文藝春秋 発行から

社会全体がそれ程裕福でない時代だからこそ、食べたカレーライスが美味しかったのだ。このエッセイを20年前に読んでいたら、母親に黄色いカレー作りを求めてはいなかったであろう。向田がいうところの、懐かしさと期待で大きくふくらませた風船を自分で割ってしまったのだ。何か懐かしい大事な思い出を一つ失ったような気がした。

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