【1964年、東京オリンピックのマラソン選手円谷幸吉を思い出すと泣けてくる】

2020-11-01

 2020年、56年ぶりに日本・東京でオリンピックが開催される。
「2020年 東京オリンピック・パラリンピック」観戦チケットの申し込み抽選がネットを通じて行われ販売方法、スケジュールなどがネット上で案内が行われ賑やかな最近である。開催まで1年に迫った。

毎日がお祭り騒ぎ
 1964年、筆者は当時中学生。記憶に間違い無ければ開会式当日(10月10日)の授業は午後休講だったと思う。学校では毎日、前日の競技結果を話題に机や椅子を使って体操の真似事をしたことが忘れられない。楽しかった。兎に角、その後の人生においても、このオリンピックはその後の人生・生活において元気を貰ったことだけは確かである。
 オリンピック開催期間が終わってからも余韻が残る出来事があった。
市川崑が監修した記録映画「東京オリンピック」の観賞会が、学校行事として行われたのである。全校生徒が一斉に観賞したとは考えられない。映画館に入り切れる訳がない。恐らく学年ごとの観賞だったのだろう。あまりに長い上映時間で、途中で休憩時間があった。一般的にはどのような上映方法だったのだろうか。
 男子100mのスローモーションは、小学生ながら感激だった。10秒そこそこの競技が物凄い長時間の競技に思えた。今でも筆者の脳裏に焼き付いている。

円谷幸吉の遺書
 あの独特な走り方をするマラソンの選手円谷幸吉がオリンピック後に自殺をした。
国立競技場に戻ったトラック内で最後、追い抜かれ銅メダルとなった。涙のゴールであった。
独特な走り方に加えて円谷の腕時計が印象に残っている。当時、デジタル時計が普及していなかったので、厚みのある重そうな腕時計を身に付けていた。イメージとして、こんな時計である。
無駄なエネルギーを消耗してしまいそうな思いで観戦していた。

何も、難しいことを言い残していないだけに、何度読み返しても泣けてしまう遺書を最後に。

父上様、母上様、三日ととろ美味しゅうございました。干し梅、モチも美味しゅうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゅうございました。厳兄、姉上様、しそめし、南蛮漬け美味しゅうございました。
喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒美味しゅうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難うございました。モンゴいか美味しゅうございました。正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。
幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敬久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正嗣君、立派な人になって下さい。
父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気が安まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。(原文)