【「・・・に時効はありません」】
桐島 聡が50年近くの逃亡の末、1月29日病院で亡くなったことが警察の調べで分った。事件を起こした当時であれば「腹腹時計」が流行語年間大賞を獲得していたかも知れないくらい世の注目を浴びていた。当時は、何かと言うと過激派集団の行動が目立つ世の中で過激派の思想に取り付かれた桐島は、とんでもない仲間と大手ゼネコン連続爆破事件を起こしてしまった。爆破による標的になったゼネコンは5~6社にも上った。死者は8名、一歩間違えば建物崩壊により多数の死傷者が出ていたかも知れない事件であった。
それにしても、よく50年間も逃げおおせたものである。末期の胃がんで、偽名で病院に担ぎ込まれたが最後は「桐島 聡」を自ら名乗り大騒ぎになった。健康保険にも加入することなく、工務店に住み込みで働いていた生活とのことである。自分をこの世から抹殺し逃亡生活を送っていたにも関わらず、最後は結局己の存在(証)を示したかったのかもしれない。
時代にもて遊ばれた犠牲者
ニュースの解説で正にピッタリの表現を聞いた。『時代にもて遊ばれた犠牲者』と。大学生だった桐島は、己の進むべき道を間違えてしまった。周囲の友達が悪かったのだろう。腹腹時計爆弾で、あれ程世の中を混乱させた事件であるが50年過ぎた今、桐島の存在を記憶しているヒトは、それ程いないのではないだろうか。
死亡後から数日も経っているというのに、とあるJRの駅には「桐島 聡」の指名手配のポスターが未だ貼られたままであった。身元確認が取れていないのだから、手配書が取り外されていない意味も確かにある。自ら「桐島 聡」と名乗っただけである。しかし筆者個人的には、既に風化さえ感じる事件に、今更捜査を強化する必要もないのではとの思いである。
爆発による被害者及び家族にとって、恐らく本人に間違いないと思われる「桐島 聡」はどう映っているのだろうか?更には、生存して逮捕されたとしたら死刑とか無期懲役を望んでいるのだろうか?個人的には、率直に桐島に対し「憎しみ」より「虚しさ」を感じている。
時効
桐島の時効について調べてみた。共犯者の国外逃亡などで公訴時効が停止したり、再開されたり更には法改正されるなどして、1件の事件を残し、時効の完成は2029年と見られている。他の数件の事件について時効は完成していると考えられているが、海外にいなければ。の但し書きが付け加えられている。今は亡き「桐島 聡」に、残り5年の時効計算などは必要ないと思えてしまう。
時効で、他に忘れられない逃亡犯がいる。福田和子である。殺人事件で15年の逃亡生活を送っている。福田は時効直前、意識的にビール瓶に指紋を残し逮捕されることになった。逃亡生活から裁判までを作家の佐木隆三が著しているが、何故か15年の永い時間で、罪をつぐなってしまっている思いになってしまった。桐島は50年と言うその倍以上の「ハラハラした毎日の生活」を送っていたわけである。
年賀はがきの「お年玉」記念切手が数枚当選した。「お年玉」受け取りついでに、書き損じた年賀はがきも交換しようと思い郵便局へ。ただ、書き損じた年賀はがきというのが3年前のものであることに、交換可能か一抹の不安はあった。古すぎる年賀はがきの交換など出来るのだろうかと。
「年賀はがきの交換には、時効はありません」と。何とも、心強いお言葉であった。
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