【あの手の年金詐欺は、いまでも?】

2020-01-24

 年金にまつわる話題がマスコミを賑わせている。
年金は、近い将来貰えなくなる不安が常にまとわりついている。老後は年金支給額だけで生活していけないのが現実になっている中、湧き出てきた「老後2、000万円問題」。貯蓄などできるわけがない上に、高齢者の働き場所がない世の中で益々、不安に襲われてしまう。

年金不正受給詐欺
 いまから10年ほど前に世間を騒がせた「年金不正受給詐欺」がある。内容はと言うと次のようなことである。高齢の親を『金づる』にしたもので、家出をしたり死亡しているのに役所に届出をせず、住民登録上は生活(同居)していることにして親の年金を貰い続けている家族が存在すると言うものである。当時、大分問題になり騒がれたがその後、どのような展開になっているのだろうか。今は、全く影を潜めている。
 
 住民票で100歳以上の高齢者が現実に生存しているか否かが問題になったが、100歳以上に限らず、70歳でも80歳でも状況は同じである。役所に届出なければ、生存していることになっている。単に、基準を100歳以上に置いただけである。

詐欺と呼ぶには・・・
 生存しない親を『金づる』にしたのには、自分達を取り囲む環境が原因にあるような気がする。人と人との関係が希薄になってきていることにあるのではないだろうか。早い話が近所付き合いが全くないことである。関係を持たなくても生きて行ける・関係を持つのが煩わしい。など
色々と考えられる。周囲住民の家族構成などは、分からなくて当然のことである。「秋深し隣はなにをする人ぞ」の意味とは全く異なり、寒々とした環境である。

 役所に届出をせず『金づる』にしたところで、いつかは分かること。今までの不正受給額を返済しなければならない。社会の仕組みを利用して、騙していることには違いないが「詐欺」と呼ぶには余りお粗末である。
 

完全犯罪
 筆者が不思議に思うのは、死亡した親の後始末である。ミステリー小説、いや現実的に完全に死体を処理し証拠を残さないようにする完全犯罪を行うことは難しい。
臭気が一番厄介であろう。早く対処しなければならない。種々の方法は古今東西を通じて考えられてきた。ドラム缶のコンクリート詰めで海に投げ込んでも発見されてしまう。切断処理したところで・・・・一体、どの様な後始末をしていたのであろう。興味のあるところだ。
 年金不正受給詐欺より、死体・・・犯罪の方が話題になって良さそうである。

家族愛
 親子の愛(関係)は、昔も今も変わらないはずである。変わったとすれば、自分達を取り巻く環境のほうである。近所付き合いである。相田みつをの言葉に「かねが人生のすべてではないが有れば便利 無いと不便です 便利なほうがいいなあ」と。実感である。
 更には、昔から言われていることに「利用できるものは親でも使え」と。いつの世も、子供は親のスネをかじっていきるのかも。但し、親子と言えども「金」の切れ目が縁の切れ目である。