【そろそろバチカン聖なる枢機卿の出番ですかね?】

朝夕ご仏壇の先祖様の位牌に向かいお線香をあげ、手を合わせる位の信仰心しか持ち合わせていない筆者である。世界のある民俗は、宗教がなかったら生きてはいけないと言うのだから理解できない。理解できないチンプンカンプンな人間が、突如脳裏に浮かんだことは。現在、世界各地で行われている悲惨な戦争を、一時的にでも停戦させることができるのは『フランシスコ教皇』しかいないのでは。と。

兎に角、現在の国連の力では世界各地で勃発している戦争の終結は望めそうもない。幾ら、戦争犯罪者に対し逮捕状を出したところで、当事者は聞く耳持たず。やり放題である。全く国連としての機能など無いに等しい状況である。母親が息子に対し強い「反省と改心の一言」を言い放つ存在は、バチカン教皇しかいないような気がする。多くの信者の聖地、心の拠り所がバチカンであることからも、ここで神の力を示すしかないのでは。

バチカン市国から少しだけ話は逸れるが、「改宗」について考えさせられることがあった。先日、日本人の「菊地 功」なる人物が新たな枢機卿の一人として指名されたというニュースが流れたことである。菊地氏の出身地宮古と言えば、極楽浄土、黄泉の国を思わせる美しい海岸浜が存在する。鋭くとがった岩が林立し正に、極楽浄土の入り口を連想させるところである。その地で育った菊地氏は、何か目覚める出来事あり改宗したのか?はたまた先祖様の隠れキリシタン流れを引き継いでいたのか?想像してしまった。

話をバチカン市国に戻す。バチカン市国はカトリック教会の総本山で、教徒にとって最も神聖な場所である。しかし、余りにも狭い小国のため、各国の大使館を構えることが出来ず、ローマの在イタリア大使館がバチカンを兼務しているという。その小国のどこに世界を動かす力(重要視される力)があるのか。AIに聞いてみたが、納得できる答は返ってこなかった。最も神聖な場所であり世界中から巡礼者が訪れるとか、世界遺産に登録されており歴史的価値が高いとか、歴史的・芸術的に価値のある建物や芸術作品が多数存在するなどと言う、まるで観光地のPRである。

AIが答えられるバチカンの世界ではないのかも知れない。「懺悔」をすることのないAIだから、ヒトの『心・精神』を言葉で答えられなかった、表現できなかったのかも知れない。神聖と気品は信頼感を作り出す。怪しげな宗教団体とは世界が違う。枢機卿の警備を見ても、トランプやバイデンを警護するアメリカのSPとは大違いである。

アメリカのSPは、大相撲力士の逸ノ城クラスによるデブの警護人ばかりであるが、バチカンの場合、まさに映画「Men in Black」のスクリーンから飛び出てきた黒ずくめの信頼できそうなSPばかりである。近寄り難い聖なるバリアで覆われている。

既に、バチカンは和平に向けて水面下での仲裁交渉云々の話は伝わってきているが、世界の大きな注目を集める意味でも水面下での交渉ではなく、表立って行動するのは『いま』である。

どこかの国の偉い人が会見まで行い「私が先頭に立って取り組みます」とか「今回の北朝鮮のミサイル発射テストに対し、断固として遺憾の意を申し入れる」などと大見得を切るだけで、一向に何も変わらないのとは逆に、多くを語らずとも、聖なる祈りと説教をバチカン枢機卿は発信して欲しいものである。充分、伝わるはずである。

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