【限界点を受け入れないと往生際の悪さになってしまう】

何事においても「限界点」は存在する。日常生活において、その「限界点」を素直に受け入れないと、往生際の悪さになってしまう。他にも中学年の理科で学んだ「融点」「沸点」がある。そこを境に現象が変化する『点』である。個体が融解し液体になる時の温度の「融点」、液体が気体に変化する時の温度の「沸点」などだ。

夏くらいから朝の通勤列車内で見かける、年の頃60歳前後と思われるオヤジがいる。半袖Tシャツ・バミューダパンツにリュックサックを背負ったラフな格好だ。見る限り、普通のパートの仕事をしているオヤジである。

行動を観察していると、性格が「自己アピール型」「え~かっこしい」のようである。毎日、半袖Tシャツ・バミューダパンツ・リュックサック。特別、派手な格好ではないが気になる存在である。列車内の座席に空きがあるにもかかわらず座ろうとはせず、さりげなく軽いストレッチをしている。首を回したり、肩を回したりしている。何も車内でやることもないだろうに。「さあ!今日も働くぞ」と周囲に語りかけているようである。

毎日の決まった一連の動作(ルーティン)として眺めて3ヶ月。朝に幾らか寒さを感じる季節に入った。相変わらず、オヤジのファッションは夏のままである。季節の変わりの衣替えに合わせ「え~かっこしい」の格好を見る目が興味に変わった。『いつまで、夏のファッションが続くのだろうか』と言う興味である。オヤジにとって季節の限界点はあるのだろうか。寒さを感じないのだろうか。

11月に入った。日中は暖かいが、朝はさすがに暖房を使用するようになる。オヤジにとって限界点はまだまだと言うところか。筆者は読心術の心得は持ち合わせはないが、オヤジにとって夏ファッションの衣替えタイミングを外した感を読み取った。意地でも衣替えをしない『往生際の悪さ』『素直になれない』ヒトと見受けた。

限界点を無視するとどうなるのだろう。自然の摂理に反することになる。一週間程、姿を見ることがなくなりパートの仕事も終わったものとばかり思っていた。突然、半袖Tシャツにフード付きジャンパーに長ズボンで列車に乗り込んで来た。体調管理に限界点を無視した代償を受けたのでは、と思わずにはいられない。

どうにか素直に受け入れたオヤジか!と思いきや。列車に乗り込むと,ジャンパーを脱ぎ半袖Tシャツ姿で今まで同様,一連のルーティンを始めるのであった。ここまでくると、何をアピールしたいのか分からないヒトである。往生際の悪さに加え、負け惜しみのおまけ付きである。

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