【今年のカープはあのコンバットマーチで優勝を勝ち取れ】

 広島東洋カープは2019年度セリーグチーム成績70勝70敗3分勝率5割で順位を4位で終えた。前年の優勝チームとは思えない試合内容であった。まるで、昔の5位、6位が定位置の弱小チームのように見えた。元々、下位で頑張っていたチームに共感して応援する「カープ女子」が注目を浴び騒がれたことを思えば、これが広島カープなかもしれない。

 「カープ女子」が話題になる前。毎年5月に鯉のぼりが大空を泳ぐまでがカープの活躍する時期で、その後は下位に向かって落ちていくのが恒例の出来事であった。幸い今年は、新型コロナウィルス問題で開幕日が一ケ月遅れの4月末のスタートのため、その様なことはなさそうである。

 1975年広島カープが初めてリーグ優勝した時、筆者は広島で生活していた。広島が赤いヘルメットを被り出した年で、よく市民球場に足を運んだものである。今でも忘れられないのが、ナイターに見る天然芝の鮮やかさとシーズンを通して応援に用いられた「コンバットマーチ」である。選手に送っている応援曲であるが、不思議と自分までが元気になれる力を持っていた曲である。

 最近の応援を見ていると各球団とも、チーム曲と選手各個人用の曲が用意されるようになったが、「コンバットマーチ」を聞くことは無い。昔はプロ野球に限らず、野球の応援と言えば,「コンバットマーチ」であった。今の高校野球の甲子園大会においても、プロ野球と一緒で水前寺清子や山本リンダの曲は聞いても「コンバットマーチ」は聞かなくなってしまった。

コンバットマーチ
 初めて演奏されたのは、1965年秋の東京六大学野球、秋の早慶戦である。このマーチに詞がついているらしいが、どんな内容かは知らない。「コンバットマーチ」というくらいだから、てっきりアメリカから日本に持ち込まれたものとばっかり思っていたが、作詞・作曲は早稲田大学の三木佑二郎で在学中に、新しい応援曲作ろうということでできたのが、この曲だったらしい。

「コンバットマーチ」と呼ばれる所以についての記事がある。作曲者は『攻撃のファンファーレ』と曲名を付けていたが、出だしの部分が当時放送さていたアメリカのTVドラマ「コンバット」に似ていたことから『攻撃』を『コンバット』に変えたらしい。

「コンバットマーチ」としてスタートした応援曲であるが、現在では「チャンステーマ」と呼ばれている。チャンステーマと言うことからも、得点圏にランナーがいる場面で使われる。しかし、試合序盤で得点圏にランナーがいても使われないのが一般的だ。正に、「チャンス時」ここ一番の盛り上がりでの応援曲である。

コンバットマーチをもう一度
 選手個人用の応援曲、それはそれとして。チャンスの時に、元気が出るトランペットで「コンバットマーチ」を聞きたいものである。話は再び1975年の初めてリーグ優勝した時に戻るが、当時は各チーム選手個人のテーマ曲などはなかった。山本浩二がテーマ曲を持っていた最初だった気がする。

 最下位チームが優勝を目指して勝ち進むのだから、街中の盛り上がりは正に「前進」「攻撃」そのものであった。あの素晴らしい「コンバットマーチ」をもう一度!