【恨み(うらみ)の美学】

恨み(うらみ)を晴らすのに、わら人形を恨みの対象者に見立て、木に五寸釘で打ち付ける方法がある。強い恨みが伝わってくるが、これは「呪い」の領域で美学とはかけ離れている。恨み(うらみ)も、内容によっては心動かされる奥深い美学に見えてくるものがある。思いつくまま列記してみる。

少し古くなるが、気になりスクラップしていた記事がある。父親の恨み(うらみ)を果たすために高校教員の息子が半世紀をかけて実行した行動である。内容はと言うと、歴史研究家だった父親が昭和初期に全7巻からなる国史大年表を出版したが、他の研究者達からかなりの批判を浴び、それに怒った父親は原稿を焼却してしまったらしい。その恨み(うらみ)を息子が、図書館に通いつめて資料を集め半世紀をかけ全10巻1万ページのボリュウームで刊行したというものである。執念も加わった美学を感じる。

芝居でも有名な“赤穂事件”がある。播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭が切腹に処せられ、家臣の大石内蔵助以下47人が本所の吉良邸に討ち入り吉良上野介を討った事件である。美談としての「仇討」として扱われているが、行動だけを見たら暴力団の抗争(殴り込み)と何ら変わりない。ただ異なるのは、目的を達した後に行動を起こした47人は自害をしていることである。お涙頂戴の話ではあるが、これは美学には見えない。

この吉良家は、地元の吉良町において治水事業等でかなり貢献しており、吉良上野介の性格は別にしても、今でも慕われ名君説が語り継がれているという。それ程に地元のために貢献した人物が、300年以上も悪役のイメージで見られていることに地元(吉良町)現・愛知県西尾市の住民は、赤穂に対して恨みはないのだろうか。「(赤穂)現・兵庫県赤穂市、相生市周辺の人間だけは絶対に許せん」ということであれば美学なのであるが。

末裔までも引き継がれている地域ぐるみの恨み(うらみ)が今でも青森県で続いている。消えることは無い。青森県が「津軽地方」と「南部地方」に区分され、お互いに敵対心を持ち生活している。決して『形』だけの区分ではない。県庁を何処に設けるかでもひと悶着あり、所在地が丁度区分の中間地点の青森市で決着がついたのが分かりやすい例である。「津軽地方」とは、青森県西部を指し弘前市・黒石市周辺のエリアである。一方「南部地方」とは、青森県東部と岩手県中部と北部を指し八戸市周辺エリアである。青森市を挟み「西」と「東」に分かれている。

450年前にさかのぼる歴史的背景の説明は、ここでは割愛させて頂く。早い話が、領土問題である。藩主の津軽氏と南部氏の間でお互い利益を求め、奪った・だました・裏切ったの世界である。犬猿の仲が世代が変わっても続いていることが信じられないが事実である。表立っては表さない恨み(うらみ)の感情は重くもあり美しい。青森県人に限らず、東北人は「口の重さ」にかけては天下一品である。決して寒さだけが原因だけではなさそうである。