【秋篠宮悠仁の茶番劇第十三幕「悠仁の新たなあだ名はスケベ陰キャ」】
秋篠宮悠仁は、9月6日が誕生日。一つ歳を積み重ねて新たな今後の決意表明でもしたのではと思い、菊のカーテン内を覗き込んでみた。
祝・誕生日
何ら、新たな決意表明は見受けれなかった代わりに、今まで呼ばれていた「あだ名」から新たな「あだ名」で呼ばれている記事を見つけた。『スケベ陰キャ』と呼ばれているらしい。
スケベ陰キャ
年寄りの筆者である。『スケベ陰キャ』の意味が全く分からなかった。それ以前に、読み方すら分からなかった。若者たちの間でよく使用されており「スケベで陰気なキャラクター」を省略した言葉であった。
さて、次に調べることは、どうしてその様な「あだ名」で呼ばれるようになったのか?である。悠仁が入学した筑波大学附属高校では、恒例となっている2泊3日の「蓼科(たてしな)生活」なるイベントがあるらしい。ハイキングを兼ねたオリエンテーションなのだろう。その中の企画の一つである男女ペアになって行われた肝試しにおいて、悠仁が獣に変身してしまい女子生徒にセクハラをしてしまったとのこと。そういうところは、オヤジの性格と似ているのかも知れない。ペアの女子生徒は当然のこと、女子生徒全員から嫌われる痛恨の一撃となってしまったわけである
紀子ママが『スケベ陰キャ』の一件を、護衛の職員(恐らく、紀子ママの手先)から聞き、お得意の怒鳴り込みで学校側に「あだ名呼び一切禁止令」を要望した事が公になっている。その禁止令が校則に付け加えられた否かは、筆者の知るとことではない。
あだ名
悠仁が入学した時のあだ名は『パクリ王子』であった。皆も知っている中学時代の作文コンクール入賞事件である。あの一件に関しては、パクリというよりは、紀子ママの裏工作と周囲の忖度が働いたことが大きいように思える。それでもまだ『パクリ王子』は愛嬌のあるあだ名である。
「あだ名」は、一生その人物に付きまとう。小学生のころのA君のあだ名などは、50年経った今になっても忘れず何気なく思い出す時がある。全くイヤミのない、その人物の特徴を言い表しており、当時、本人も何も気にしてしなかった。思い出しても自然と笑いがこみ上げてくる。それは違和感なく、すんなり納得できる特徴を有するもので、その人の容姿や性質などの特徴からつけられ「愛称」でもあった。
新たな「あだ名」の『スケベ陰キャ』は、将来の天皇悠仁に付きまとうことになる。「愛称」とはほど遠い程度の低い揶揄的・嘲笑的なものとなってしまった。
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